春もみじの道を ~映画『いしゃ先生』顛末記~
その④


 前回に引き続き、初めて大井沢(西川町)を訪れたときのお話。2011年7月18日の夕方のこと。志田周子先生のご実家を予定外に訪問した際、私の体に異変が起きた。「そういえば今日、命日だ。あぁ、ちょうど今頃だな、亡くなったの」実弟の悌次郎さんの言葉に、一同は絶句する。──運命なんて言葉を軽々しく使いたくはないが、これはもう周子先生が我々を呼んでくれたのだと、そのとき思った。目に見えない大きな力を感じたのだ。お墓はご実家のすぐ裏にあり、我々はすぐにお参りさせて頂いた。夕暮れの涼やかな風が吹く田んぼ道を、悌次郎さんを先頭に、一列になって進む。周子先生が祀られているお墓は、村を見守るような小高い場所にあった。お父さんの壮次郎さんやお母さんのせいさんも同じ場所で眠っている。野の花に囲まれ、とても気持ち良さそうだ。一人ずつ手を合わせ、祈る。「周子先生、どうか見守っていてください。んでもあど、あたしさくっつかねくていいはー」そうやって大井沢初日は終わった。

 翌日も、朝早くから取材は続く。周子先生と歌会仲間だった方、助手をしていた方、悩みを聞いていた方、ほのかな恋心を抱いていた方、娘さんを預けていた方、診察してもらった方、ごしゃがれだ方、同じ女医としての思いを語ってくれたお医者さま、クマ1000頭と対峙してきた大井沢の生き字引……等など。ときに、聞いているだけでこちらの目頭が熱くなって、鼻の奥がツーンとすることもあった。自分だけの宝物をそっと話してくれる人、当時の苦労はお前ら若いもんには想像もできるまい! と力説する人、我々に話しているうちにどんどん記憶が甦り、自分で感動してしまう人……周子先生への想いを語りながら、皆が皆、自分の人生を語った。

 たくさんの方々の言葉を拾い集めるたびに、私はこう思う。「志田周子の生涯を描くことは、その時代を生きた全ての人々への敬意を表することだ」と。残念なことに、当時の苦労を知る人・知ろうとする人は、年々少なくなっている。今の便利な暮らしは、先人たちの苦労の上に築かれているんだということを改めて感じた。さぁ、大変だぞ。この映画、どんどん凄い使命を帯びていく。だからこそ楽しく、愉快に、ザ・エンターテインメントで間口を広げてゆきたい。口座開設から約1カ月。現在の募金状況310万円! ありがとさまです! また来月の報告を楽しみに、待ってでけらっしゃい。

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