昭和初期——
仙境のナイチンゲールと呼ばれた
一人の新米女医の物語。

昭和10年、出羽三山の主峰・月山の麓を、急ぎ歩く女性がいた。志田周子(ちかこ)、26歳。
故郷の父から『ハナシタイコトアリ スグカエレ』という電報を受け取った周子は、取るものもとらず帰郷したのだ。
山形の農村出身の彼女は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医者になったばかりだった。
——風が鳴く峠のてっぺんに立つ、周子。眼下に懐かしい景色が広がった。8年ぶりの美しい故郷だった。久しぶりの実家。
幼い弟たちは周子に甘え、母・せいが手料理でもてなす。温かい出迎えを周子は喜ぶが、父・荘次郎の様子がおかしい。
大井沢村の村長だった荘次郎は、周子の了承も得ぬまま周子名義で診療所建設の予算を通し、すでに建設が始まっていたのだ。
「頼む、周子。3年だけお前の人生を俺にくれ。
その間に必ず代わりの医者を見つけるから」父に頭を下げられた周子は、
怒ることはできなかった。
無医村のこの村に医者を置きたいという父の願いは、誰よりも理解していたから。
まだまだ未熟な自分が一人で診療所の医師など
つとまるのか……不安を抱えつつ、周子は3年間だけ頑張ってみようと心に決める。
東京にいる想い人の存在を胸に秘めながら。
——自身に降りかかる数々の試練に耐え、過酷な
運命にも負けず、昭和37年にこの世を去るまで、
たったひとりで村人の命を守った「いしゃ先生」の愛と勇気の物語。