春もみじの道を ~映画『いしゃ先生』顛末記~
その②


 先月、始まったばかりの顛末記。おかげさまで好評で、さて次は取材時のエピソードでも書ぐべがなぁと思っていたが……それどころではない。大変なことが起こってしまった。この春の人事異動で、プロジェクトをゼロから立ち上げ、ここまで導いた役場の担当者が、別の部署に移ってしまったのだ。私たち制作陣は呆然自失。えー、このタイミングで? あぁ、どげすっべ……。

 この町おこし映画プロジェクトは、決して大げさな言い方ではなく、その担当者の熱意と信念でここまで来た。彼の熱意に動かされ、共鳴した人々が集まり、お金なんて無いところから、前回ここで紹介した「感動の発足式」まで辿り着いたのだ。本格的に動き出したばかりのプロジェクト、その「軸」が移動してしまうという。我々の狼狽ぶり、想像でぎます?

 でも少し経って落ちつくと、こうも思えてきた。もしかしたらプロジェクトがさらに大きくなるようにとのご配慮で、今回の異動はあったのかもしれない。多角的に組織を機能させるための作戦……きっとそうだ。

 町の未来がかかっているといっても過言ではないこの大きな仕事は、いろんな角度から盛り上げていく必要がある。加えて、映画を一本完成に導くということは冗談抜きで命懸け。だからこそ、何事にも揺るがぬ強い信念を持った人が「作品の中心」にいなければ、絶対に完成までは至らない。それは製作費の大小も、商業映画か町おこし映画かどうかも関係ない。本木雅弘さんが俳優という立場を越え『おくりびと』に懸けたように、ようは「人間の思い」が軸となって動いていくものなのだ。その役割を私たち外部の制作陣が担えば、もう「町おこし映画」ではなくなる。もちろん、それぞれに思いはありますよ。でも……でも、です。

 官民一体となって進めるこの「町おこし映画」。今こそ、それぞれの覚悟を示すときだろう。映画作りに官の常識は通用しない。民のやり方を押し付けるつもりもない。けれど、民と官、両者の間に粘り強く立ってくれる人がいたから、なんとかここまで来られたということだけは忘れないで進みたい。簡単に動かしてはいけない「コト」と「タイミング」があるということも。

 さて、こっからだね、本当に。前任者の方、今まで本当にありがとさまでした! 初めてお会いしたのは『なまらナイト公開収録』の会場でしたね。思い起こせば、東京の制作陣と信頼関係をここまで築き上げるのも、決して順風満帆ではありませんでした。私たちは長い時間何度も話し合い、互いの立場を想像しながら、信頼を積み重ねてきたのです。嬉しいことに、後任の方も負けず劣らず熱い方だそうで! 筋骨隆々の武道家とか。我々はゼロからイチにしてくれたあなたのおかげで、イチから積み上げてゆくことができます。感謝しています。これからも信じた道を共に進みましょう! 

 次回こそは、初めて西川町を訪れたときの面白エピソードを紹介したいと思う。2011年7月18日、私は初めて大井沢の地を踏んだ。その日は特別な日だった。なぜなら……それはまた、次のお話で。

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