春もみじの道を ~映画『いしゃ先生』顛末記~
その① 我らの手で1億円?! 映画作りは叶うのか?


 先月中ば、西川町で『志田周子の生涯を銀幕へ甦らせる会』の発足式が行われた。当日は猛吹雪。今年初めて大雪警報が発令されるというおまけつきだ。それにも拘らず、170人もの方々が県内外から集まった。会場の熱気に私の胸は熱くなる。あぁ、これでようやく本当のスタートラインに立てたのだ。「町おこしとして映画をつくりたい」という山形新聞の記事を拝見してから丸2年。作家としての立場でふるさとの役に立てないかと自ら手を挙げてみたものの、そのお役目は想像をはるかに超えた難儀なものだった。それがまた愉快で、実にやりがいがある。映画化の可能性を探りつつ東京で右往左往するうちに「映画を作っている裏側のほうがよっぽどドラマチックだっちゃれ」と思った次第。というわけでこちらに顛末記を書かせて頂けるはこびとなった。はてさて、映画は完成まで辿り着くのか?! 皆さんにもこの可笑しくて温かい、もう一つの物語を見守ってもらえれば幸いだ。

 おらが町の宝物・志田周子への思いは皆それぞれ。紙芝居、朗読劇、歌……それぞれが思いを込め、周子先生の生涯を讃えた。私を含めた製作陣の講演も終了し、ユニークで熱のこもった町長たちの談話も終わり、とても良い感じで発足式は終わりに近づく。そんなときだった。一人の女性の手が上がった。「1億円なんて大金、どうやって集めるんですか? それに1口5千円の寄付金なんて……何にどう使うんですか? 簡単に5千円なんて言わないで」その勇気ある女性が声に出して言ってくださったことは、きっと誰もが思っていることだろう。──んだよね、5千円って大金だよね。まして1億もかかる映画を作って一体どんなメリットがあるんだが……。私が一町民なら、きっと同じことを質問したと思う。時間がない中、すべての答えをその場でお伝えすることはできなかった。でもどうか、皆がやろうとしていることを見ていて欲しいというお願いを、私はした。今なぜ、映画で町おこしなのか。自分たちの取り組みで町にどんな変化が現れるのか。そしていつか、ご賛同頂ける日がきたら1口5千円という大金をご寄付頂きたい。なぜならこれは、誰のものでもない皆さんの映画なのだから。そんな願いを込めて、私たちは会場を後にした。宿への道すがら、視界ゼロの吹雪の道を役場の車が進む。東京から来たプロデューサー陣は、初めて目にする光景を、驚きというより覚悟をもって眺めていた。

 昭和10年の春、志田周子はふるさと大井沢に戻ってきた。残雪と桜と新緑……そんな春もみじの道を、ハイヒールを鳴らして帰って来たのだ。「いしゃ先生は神さまだっけ」取材中、何度も耳にした言葉。──んでもよ、いしゃ先生。あなたが神さまになるまでには、ずいぶん大変だったんだべ? それはまた、次のお話で。

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